「どないせえゆうねん」
水上先輩が頭を抱えている。面白い。これより面白い水上先輩のようすがあるだろうか。いや、無い。
隠岐孝二は心の底から面白がっていたが、それを表に出さない程度には目上への礼儀を知っていた。
「なんですかこれみよがしに」
「隠岐くん聞いてくれるか?」
「珍しい、なんですのん」
紙パックの甘いアップルティーをちゅうちゅう吸いながら隠岐は水上の向かい側に座っている。生駒隊作戦室。隊長と南沢海は個人ランク戦に出払っており、細井真織はオペレーターの集まりの方に召集されている。つまり部屋の中には隠岐孝二と水上敏志ふたりしかいない。ふたりしかいないのに水上敏志はきょろきょろと辺りを見回し、ちょいちょい、と隠岐に手招きをした。耳打ち。
「ええ〜〜〜〜〜〜っ」
「声でかい声」
「恋バナですかあ。いやおれそういうの苦手やわあ」
「何をおっしゃりますやら。百戦錬磨のお前みたいなのにしか相談できんのやぞ」
「はあ百戦錬磨かは置いといてですね。おめでとうございます」
「おめでたくないねん」
「蔵内先輩に愛の告白をされたのがおめでたくないなんてそんなことないでしょ」
「全部言うなや!耳打ちの意味!」
「だって水上先輩、蔵内先輩のこと大好きじゃないですか〜」
ピシッ、と水上は一度固まり、顔をゆっくりと覆い、指の隙間から隠岐の方を見た。
「…………」
「黙らんといてくださいよ。それでも大阪人ですか」
「なんて言うたらええかわからん」
「恥ずかしいですか。後輩に気持ち筒抜けだったことがそんなに」
「それはまああのはい」
顔を覆っていた手は膝に行く。気持ち的には正座でもしたいのだろう。
「好きなんですよね?」
「ちゃうねん」
「オッケーしたればええやないですか」
「ちゃうねん隠岐くんそういう問題やないねん」
「どういう問題ですか。わかりゃしまへんなあ水上先輩のような頭の良い人の考えることは」
「隠岐くん、隠岐くん怖い顔なっとるで。キャラが壊れかけとる」
「両想いなのにくだらんことで逡巡しとる先輩見てたらそら怖い顔にもなりますて。どうせアレでしょ?俺なんかじゃなくてもっと良い人がいるはずや〜とか、蔵内家の遺伝子に申し訳が立たんとか、綾辻先輩辺りと結婚して子供ポンポン生んで少子化に貢献すべきなんやああいう男はとかほざくつもりなんでしょう?」
「はい」
「はいちゃいますね」
「はい……」
思い出したように水上は小さいペットボトルの緑茶を開けてぐい、と飲んだ。ホットだったそれはとうにぬるくなっており、ゴクゴク飲めるほどになっていたが、水上はちび、ちび、と飲んで、また蓋を閉めた。
「正直な、ムカついてんねん」
「ムカつく?」
「全部狡いやんか。頭も顔もトリオンも性格も全部整っとって狡いやんか。お育ちもよくて一点の曇りも歪みも無い。そんなんがこんな天パ塩顔ヒョロガリ性格捻じ曲がり男とお付き合い?冗談言うたらあかん。蔵っちにはもっと相応しい相手いうのがおんねん。綾辻とか綾辻みたいな女子とか。大学行ったらいくらでもようけおるで。それをそんな。三門大行くいうのも俺は最初から信じられへんかってん。俺は趣味で行くけど、蔵っちは偏差値的にはもっと上のとこ余裕で行けるはずやねん。あいつんち一人っ子やし、大事な大事な一人息子をそんな」
「先輩」
「ん?」
「引っ叩いていいですか」
「あかんな」
アップルティーの紙パックを置き、手を上げる隠岐。後退りをする水上。一度上げた手を下げた隠岐は水上の目をしっかりと見て、言った。
「蔵内先輩の人生は蔵内先輩のものですよ」
「……わかっとる」
「わかってないでしょ」
「そうやな。わかってないわ。あんな出来た人間、自分の思い通りに生きることが許されてええわけないって思っとるわ。これでええか?」
開き直りだ。めちゃくちゃなことを言っていると自分でもわかっている。後輩に相談しておいてこの態度、最悪としか言いようがない。我ながらそう思った。
「先輩」
「なんや」
「……なんのためにおれに相談したんですか」
はは、おっかしい人やなあ。隠岐は笑って、中身の少なくなったアップルティーの紙パックをべこべこさせた。本当にしょうがない人やなあ。隠岐の目にはそういう、慈愛の感情しか浮かんでいない。そう水上敏志は、こうやって人に許されながら生きている。
「……結論は決まっててん。断るしかないと思ってる。いくら好きでも好きだけじゃどうにもこうにもならんことがあるってあいつもきっとわかっとる筈や。確認しときたかったのかもしれんな。悪かった。変なこと話して」
「絶対付き合うべきやと思いますけどね」
「言っとくけど男同士だからとかちゃうぞ」
「わかってますよ。そういう話じゃないのは」
「男でも俺じゃああかんねん。あいつの人生をぐちゃぐちゃにする覚悟が俺にはあらへん。それだけの話や」
お早う水上、とよく通る真っ直ぐな声に呼び止められて水上敏志はちらりとそ の相手を盗み見るようにして振り返り、すぐ進行方向に向き直った。
「おう蔵っち、お早う」
「今度のランク戦、うちと当たるだろう。宜しくな」
「おう、てまあ、何を今更て感じもするけどな」
すたすたと一度止めた歩みを再開し、止まる前と同じペースで進む水上に蔵内 はなおもついてくる。少し悪いと思ったのか水上はスピードを緩める。 蔵内はいつものニュートラルな笑顔からまたニコリと笑いを深めた。
「何回もやってるからな。次こそは完勝できないものかと思ってるんだが…次は玉狛第二もいるしな」
「まあうちはいつも通りやらせてもらいますわ。 玉狛は厄介やからなんとか考えなあかんけども」
「いつも通り、か······それで本当に安定して点取ってくるんだから怖いなあ、生駒隊は」
「いやいや、王子隊もなかなかやろ… 王子は我強いしそれについてってるだけで尊敬するわほんま。俺ならようやらん」
そういうところだよなあ、と蔵内は思い、そして声に出そうか迷い、声に出し た。
「そういうところだと思わないでもないねどな、俺は」
「ん?」
「今の悪口だろ?」
「王子への?」
「俺の」
「・・・・・・ へえ、意外と繊細に出来てんやな、蔵っち。もっと図太いと思ってたわ」
「ほらまた」
「またてなんやねん。知らんわこんくらいでいちいち言いなや!」
ハハハと笑う蔵内を見て、水上はよくわからない気持ちにさせられた。やっ ぱりこの男は図太い。 図太いんじゃないだろうか。繊細な部分に気付く脳味噌と
神経を持ち合わせていながらにして図太い。 爆殺生徒会長。
「水上ってなんだか、あれに似てるよな」
そんな曖昧な言い方をする蔵内は蔵内らしくなかったので水上は首を捻り、疑問を呈した後、 蔵内の視線の先にあるものに気付く。
「あれて何……ああ、あれ、て花かいな。えらい可愛らしいもんに例えて、まあ」
ロベリア。青色の小さな花が広範囲に広がって咲いている。花屋に並ぶというよりは園芸品種で、こうしてボーダーの入口の花壇に植っていてもおかしくはな い。
「花言葉、なんていうか知ってるか?」
「流石生徒会長様、花言葉なんかにもお詳しいんですねぇ・・・・・」
「花は贈り物にも使ったりするし、知ってて損は無いからな。不吉なものが交ざってたりしたら失礼だろう?」
「花言葉なんか、どっかの誰かが適当に考えたポエムやろ」
「確かに新しい品種に関しては公募したりもするらしいな。商業的な意義も大いにある。しかし、水上は詩を解さない方の人間だったか、残念だな」
「いや、ていうか、花自体にそんな興味無いしな……..」
首の後ろを掻いて居心地悪そうにする水上を見て、 蔵内は可愛いと思う。 そういう自分の感情こそにそれが含まれていることも自覚している。
「悪意」
「え?」
「悪意、それから謙遜」
花言葉のことを言っているのだと察して水上はああ、とか、うう、とか唸った。
「だろ?」
「それは、まあ、俺やな」
水上は参った。降参した。この男の前では、蔵内を相手にしては、必ず、いや
結構な確率で水上は負けるのである。しかし負けても居心地が良いようにしてくれるのである。生徒会長様なので。
「いつも愛らしい、なんてのもあるぞ。水上にぴったりだな」
「歯の浮く台詞も大概にしてもろて……」
いつも愛らしい、なんて似合わないにも程がある。こんなひょろひょろ縦に長いばかりで顔も薄い男。一周まわって阿呆らしくなってきてしまった水上は、そろそろ生駒隊作戦室に行くか、とロビーの時計を見た。
「蔵っち、また後でな」
「水上」
引き留めるため腕を掴まれて、真剣な顔をされて。それだけで気まずくなる。躱せなくなる。どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。
「何?」
声が震えているかもしれない。
「……返事、ゆっくりでいい。いつまででも待つ」
「いつまででもって、死ぬまでか?」
はん、と笑ってしまった。最悪だ。
「死ぬ間際にお前の気持ちが聞けたなら、それはそれで幸せかもな」
「……蔵っち」
「ん?」
「付き合おか」
「本当か!?」
「もうええ。そこまで言うんならしゃーない」
簡単なことだった。こんなに簡単に、俺の逡巡も思惑も、綺麗な花のようなこの男の輝きに照らされて、消え失せてしまう。
いや、消え失せはしない。またどこからかふつふつと嫉妬は湧いてくるだろう。それでもこの男ならきっと、自分の捻じ曲がった根性をあっさりへし折ってくれるに違いないのだ。
「良かった。じゃあ改めて、これからよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
ふたり深々とお辞儀をした。

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