太刀川さんは本当に悪いひとだな。
 うん。
 本部のみんなも悪いやつじゃないんだ。許してやってくれなんて言えないけど、ごめんな。ごめん。
 嵐山が謝る事じゃないよ。
 うん。ごめんな。
 謝るなって。
 うん。
 そうだな、そうなんだよな、玉狛はいいところだよ。なんてったって今はメガネくんがいるし。
 三雲くんの事を買いかぶりすぎじゃないか?
 買い被ったくらいでメガネくんはダメになったりしないから大丈夫だよ。
 やれやれ。
 ははは。
 あっはっは。
 
 そんな事をぐだぐだ言い合いながら帰路についた。バスから降りて玉狛支部のある堤防を歩く頃には辺りは真っ暗になっていた。支部の玄関の扉を開けた瞬間飛び出てきたのはもちろん小南桐絵で、迅の肩を掠めて嵐山の首に勢いよく抱きつく事でその勢いは止まった。
「准!なんであんたおばさんに嘘ついたのよ!携帯出ないし本部に泊まるって言ってたから時枝くんに電話してみたら今日は大学だから来てないはずって言われたって。そんで大学にもいないし、おばさんパニクっちゃって大変だったんだから!とりあえず玉狛で訓練中って言っといたわよ。感謝しなさいよね!」
「うん、ごめん。桐絵心配かけてすまなかった」
「よし。何処にいたかは聞かないわ」
「小南小南。おれは〜?」
「あんたが行方不明なんていつもの事でしょ。准の事巻き込んで何してんのかしらと思ってたけど、そんなんじゃないみたいだから」
「よくおわかりで。さすが桐絵さま」
「……迅あんた自分でわかってないの?今のあんたの顔、すっごく変よ」
 迅は小南の言葉に一瞬驚いた顔をして、それから少しの間腹を抱えて笑った。

 夕飯を玉狛のみんなで食べて、いつもの通りソファで団欒する。いつもは存在しない嵐山が参加していてもそんなに違和感は無い。従兄弟や親友がいるというのもあるだろうが、嵐山は本部にいるときよりもリラックスしているように迅の目には見えて、迅は、此処にずっといたらいいのにと思った。そのまま言った。
「もうお前ずっとここにいたらいいじゃん。玉狛に転属する?」
「何言ってるの、准には嵐山隊があるじゃない。簡単に言うものじゃないわそんなこと」
「嵐山は確か忍田派だろう。うちとは派閥も違う」
「嵐山さんのトリガー改造も面白そうだけどねえ。器用で力もあるからいろんな事ができそう!」
「ほらうちの宇佐美の変な火が着いちゃったじゃない!」
「んふふふふふ」
「お前はどう思う?転属経験者」
 烏丸は食後のお茶を湯呑みからずずずと飲み、こくりと喉を鳴らしてから口を開いた。
「いや、嵐山さん次第でしょ。おれはあそこよりここのがいいかなと思ったから転属したし、今もここにして満足してますけど」
「それほぼ何にも言ってないのと同じだよな?」
「さっきから嵐山さんの意見聞いてないでしょ。どうなんですか」
「うん」
 嵐山はゆっくりと語り出した。愛しいこの街の平和のこと。弟妹の学校での様子。先日の祭りでのヒーローショー中の襲撃。強い者への嫉妬。それでもできることをやっていくしかない。街の平和とは曖昧なもので、どちらかにつくという極端を選ぶものではなくて、その曖昧なものを死守するにはどうしていくのがいいか。玉狛はとてもいいところだけれど、嵐山にはその思想の奥深さを理解は出来ても、共感までは完全にはしきれない。
「俺は本当のところは臆病なんだよ、迅。臆病で、臆病なまま生きて、同じ臆病な人たちを守るためにできることをやっていきたいんだ。何もかも決められない。何が正しいかなんてわからない。でも間違ってることはわかるつもりだ」
 嵐山は向いに座る迅の目を見て言った。迅も目を逸らせなくなった。目を逸らさないまま、ただ細めて、迅は言った。
「そうか。そうだよな。誰より正しいお前のことだものな。おれだって強制なんかするつもりはないよ」
「たまにならいいんじゃないですか」
烏丸が呟く。
「スコーピオン開発前後の時は結構出入りしてたんでしょう?そんな感じでたまにはここにも来ればいいですよ。なんにも用が無くたって来ればいい。近界民との交流に関してはともかく、嵐山さんはトリガー改造には興味あるみたいだし」
「そこまで暇ならいいけどね」
「拗ねるなよ迅」
「拗ねてないし」
 玉狛支部は川の真ん中に堂々鎮座している。いくつかの柱を基礎にして、川の流れに逆らいもせず浮遊している。河川の調査をするための施設だったその建物、その役割は、今でもそんなに変わっていないのではないかと嵐山は思う。ただ流れるものに流されるか、自ら流れるか、流されまいと抵抗するか。迅たちは調査をしている。なぜ流れるのか。流されるのにはどんなわけがあるか。流されまいと思うならばどうすべきか。
 嵐山は玉狛支部所属ではなく、本部の忍田本部長の思想を採用し、本部長の命に従う派閥に属している。ここは、玉狛は、進むためにあるところじゃないんだ。戦うためにあるところじゃないんだ。守るためにあるところでもない。強くなるためにあるところだ。
 だから迅の浮気を嵐山は喜ばしいと思った。心から思った。手足が引き攣れるような感覚を、頭が痛むような気がするのを無視してただ思った。俺は進まなくちゃいけないんだ。戦わなくちゃいけないんだ。守らなくちゃ。迅、一緒に来てくれるか。といつだか言った。勿論、と迅は言った。今にして思えば、あれは嘘だったんだ。一緒にいられるわけがない。似てるようで違う。双子なんかじゃ決して無いし、髪の色も質感も肌の色も目の色や大きさも身長は同じでも身体の厚みだって全然同じじゃない。同じのものなんて本当は何一つ無い癖に、お前と俺は同じだよって、言いたがっているだけだ。まるで俺の人生じゃないか。

「忍田さんてさ」
 空部屋に泊まることになった嵐山のところに夜中忍び込んだ迅は、嵐山の隣で寝ることにすぐ決めた。今日だけは嵐山が自分に特別甘いことが視えていたからだ。
「ん?」
「忍田さんて太刀川さんと付き合ってんだよな」
「そうなのか!?」
 えっ!?え!?と二人上体だけを勢いよく起こし、互いの顔を指差すようすはまるで双子のようだが双子ではない。断じて。一旦落ちついてまた寝直す。その動作すら重なる。嵐山は額を手で押さえつつ仰向けになり、迅は横向きに肘をついて寝転がる。
「まあ……忍田さんと太刀川さんがどうであろうと、街の平和にもボーダーの仕事にも関係ないからな……」
「それはそうだけどもうちょっと関心持ったっていいだろ……待てよ、今なんか見えた」
「なんだ?」
「え、え〜〜〜」
「教えてくれないのか?」
「だいぶ遠い未来だけど、忍田さんと沢村さんがハッピーウェディングしている」
「本当か!?よかったじゃないか」
「えっじゃあ太刀川さんとは」
「本当に手綱握るのに苦労してただけなんじゃないのか?」
「あの首輪と彼シャツは?」
「もし友人が全裸で首輪つけてたら、俺ならとりあえず何か着せようと思うし着せるかもな。適当に上だけでも」
「3回まわってワンって言ってた。忍田さんは頭撫でて……表情は……そう言われると死んでたような……」
「考えすぎだったんじゃないか?」
「そんなことある!?!?!?」
 しかしA級一位の隊の隊長であり攻撃手ランク一位のボーダー随一の防衛隊員が乱交パーティーのホストをやる程度の色狂いだという事実は揺るぎようもなく、組織の腐敗は全然関係ないとしてもそれはそれで絶望が深まるという話だ。
「直接聞いてみるのはどうだ?」
「太刀川さんに聞いてもちゃんと答えが返ってくる未来が見えない」
「忍田さんには」
「……まあ人にはプライベートというものがな」
「そのプライベートに巻き込まれてるんだけどなお前は」
「いつになくバッサリ言うじゃん……」
「俺が聞いておこうか?」
「いや、いや……いい、自分で聞くから。それより嵐山」
「なんだ?迅」
 ずっと言いたかったことがある。これが言えないばっかりに、言えても叶わない、叶っても足りないばっかりに、こんなにのたうち回るのだ。それくらいおれはお前が好きなんだよ。涙が出てしまう。疲れてどうしようもなくなって、そうだ、おれが死ぬときにもおれが青白い死体になってもお前はおれを抱きしめてくれるだろうね。けどそれじゃあ足りないんだ。足りないんだずっと。やっと言える。何度だって言える。だから嵐山。
「キスしてほしい」
 たくさんキスをした。たくさん抱き合った。たくさん泣いてたくさん眠った。
 楽観と忘却が全てを救うとして、冷たい本の中の記録だけがより良い人生の助けになるとして、じゃあおれがおれである意味ってなんなんだろうなって思うんだ。ほんの少しだけでも、おれがおれであることを好きだと誰かが言ってくれたら、それで何もかも済むんだろうか。たくさん話がしたい。お前はいい答えをたくさんくれるだろうね。一緒に考えようとも言ってくれるだろう。理想に近づくために自分を殺して他人を生かすだろう。だからおれはお前に少しの汚い熱をあげる。お前がお前であることを思い出させてあげる。これは嫉妬で復讐なんだけど、その前に愛なんだから、なあ、許してくれよな。
 おやすみなさい。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!

コメント